それはそれとして

20日の新聞から

亡くなった日野原重明先生の「あるがままに行く」に書かれてあった

(2013年12月の再掲載)

煉獄に行くと言う悪夢を見た

煉獄とは天国と地獄の間にあり、

悔い改める余地がある死者が行く場所で

そこで自分の罪をきよめられれば

その死者は天国に行ける(ダンテの神曲

これをエッセーに書いたところ、

編集者が心配して

「先生はみんなの健康、長生き、世界の平和を願って飛び回っている

煉獄に行くとは考えにくい(当然天国に行く)

他人のために、仕事そのものに 少々貪欲過ぎないでしょうか

体を壊すまで働かないようにと 神さまが煉獄を見せて警告なさったのでしょう」

と伝えてくれた

 

悪夢の翌日にNHKの仕事で鈴木大拙館に行かれるのですが

そこで

「それはそれとして」

と言う仏教学者の鈴木大拙が残した言葉を目になされる

 

特定の物事にとらわれないで

心を流れる水のように保つ

来るべき時間をよりよく生きるため しなやかな心で前を向く

 

「それはそれとして」

 

体の疲労感と、精神の疲れまでも

さらさらと洗い流されていったように感じたと書かれてあった

 

「それはそれとして」

とらわれることなく、しなやかに

私もこの言葉を噛みしめてみた