微酸性次亜塩素酸水 アクアルファ

アナゴの寿司を無性に食べたくなった

半額で買って冷凍していた国産のアナゴを取り出して

ちらし寿司にした

美味しくて大満足した

その後 食べた後の皿と、アナゴに味付けをした鍋を、

洗わないでしばらく置いていた

 

食事をした居間で新聞を読んだり生協さんのチラシを見ていた

何か 臭い!

くぎ煮を作った時にどっか煮汁でも付着したのかと辺りを臭ってもそんな感じがない

台所に行って皿が原因だと分かった

居間にまで臭いがいくとはアナゴはそんなにも臭いがキツイようだ

皿も鍋も洗って、やっぱりすぐに洗わなくてはと反省した

にもかかわらず、まだ臭い

もう洗い落とした筈だ

 

そこで私が愛用している消毒液をミストした

微酸性の次亜塩素酸水で「アクアルファ」と言う

除菌と消臭作用がある

 

元はノロの消毒にと保育関係の方から紹介してもらった

外から帰ったら手洗いとうがいをしましょうと言うけれど

私はこの「アクアルファ」で手洗い後に消毒をしてうがいもした

お蔭で風邪も引かないしインフルエンザにも罹らなかった

そのうちに歯磨き後の口の消毒もするようになった

 

台所と居間にスプレーでミストしたら

嫌な臭いが消えてしまった

アクアルファの威力は凄い

それから、アナゴの臭いも凄かった

 

 

 

 

 

 

 

 

エイプリルフール

昔、4月1日はエイプリルフールの日だから

一生懸命考えて友達や家族に嘘をついた

気の利いたユーモアのある嘘はなかなかないものだ

知恵を絞り合った

大笑いし合った

 

今はフェイクニュースの時代になってしまったから

4月1日を特定しなくても嘘がはびこっているのかもしれない

 

父(舅)は明治41年の4月1日生まれだ

威厳があって、四角い顔で、口はへの字だった

それなのに冗談が好きで

子ども達や兄嫁や私にもちょこっと嘘や冗談を言っていた

ユーモアがあってイギリス紳士のようにステキだった

例えば、夫はフォルックスワーゲンに乗っていたので

「フォルックスワーゲンのエンジンは飛行機のエンジンと同じものだ

だから走り出すとその内空を飛ぶ」などと言う

姉が(義姉)思わず「エーッ」とか言ってみんなで笑った

分かって居ても面白かった

父は明治の男らしく厳しく優しく家族を守ってくれた

 

嘘は悪い印象があるが

冗談や、悪意がなくてユーモアのある嘘は無害だ

それが言えるくらいのゆとりがありたい

 

しかし現実はフェイクニュースで相当な社会問題が起きているようだ

こちらは有害だ

それぞれの良識でフェイクニュースなど無くなれば良いと願う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユヌスさん

28日のニュースウオッチ9に

ムハマド・ユヌスさんのインタビューが放映された

貧困を救うために低額融資を行うグラミン銀行を作った人である

融資を受けた人達がそれを元手にミシンを購入して物作りをしたり

ヤギを購入して収益につなげたりして 貧困から脱出する

その数は700万人とも言われている

2006年にはノーベル平和賞を受賞した

 

 77歳の高齢であるがいかにもお元気そうだった

「私は若者と同じように速く走れないかもしれませんが

しかし誰よりも速く頭を回転させ問題解決に向け、助言することができます」と言う

シニアの知識やキャリアと言った引き出しを活かさない手はないと言うわけだ

 

来日したユヌスさんは吉本興業と連携してソーシャルビジネスに乗り出すそうだ

(29日の新聞より)

高齢化、過疎化の課題を「笑い」で解決を探る

何かが始まるかもしれないと期待が持てる

 

人間は引退しない

最後のひと呼吸まで、ずっと活動的

それが人間のエネルギーです

 

そのメッセージは心強いが、気力と体力が続くだろうか

 

 

 

満開の桜が今美しい

買い物に行くその道なりに

バスに乗っても窓の外に

そこにも かしこにも

春爛漫

日本は桜の国だと思う

 

昔 西宮に住んでいた頃は夙川の土手で花見をした

川に枝垂れる桜の並木は風情があった

木の下で花見弁当を食べた

 

お手伝いに行っている児童館に夙川から通勤する職員がいる

今は木が傷んで来たので、下でお弁当を広げてはいけないそうだ

話を聞いただけなのに涙が出そうになった

あの頃夫は元気だった

 

もう20年くらい前のこと

母は癌を患っていたが手術の後しばらくの間は元気に過ごしていた

妹が花見に連れ出してくれた

木次の土手にずっと続く桜並木は見事だった

母と見た最後の桜だった

 

桜の花は並木になってずっと続いていると妖艶な感じがする

寒い冬が過ぎて春の訪れが嬉しくて

陽気と共に咲く桜は特別な花に思える

 

 

 

 

 

 

今年最後のくぎ煮

魚屋さんに今年最後と言う生のいかなごが並んだ

これで最後だから頑張って焚くことにした

 

最後の今日はいかなごはもう成長して大きくなっていた

小さいサイズが好きな人が多いけれども

少し大きくなってもそれはそれで良い

値段も出始めの3000円が980円になっていた

 

今年はくぎ煮の味を随分と研究したことになる 

色んな人から教わってこれで完成と言う味に到達した

と思ったが

レシピだけではなくて炊き方が大事であると言うことも分かった

と言うのも、今日は煮詰め過ぎて固くなり過ぎた

それでも美味しい

 

東京の姪に送ったら喜んでくれた

くぎ煮のシーズンは終わった

 

 

 

 

 

 

花のれん

勉強会のNさんが山崎豊子の古い小説を貸して下さった

朝ドラの「わろてんか」の話題から

「花のれん」も「わろてんか」も

主人公は吉本興業吉本せいさんがモデルになっている

Nさんから見れば小説「花のれん」は

主人公の多加さんの苦労が並大抵ではないところから

テレビの「わろてんか」は甘いと感じておられる

 

「花のれん」は日露戦争が終わり5年後の頃から始まる

米屋の娘多加が呉服屋の吉太に見染られて息子吉太郎に嫁ぐ

しかし吉太が亡くなって後は吉太郎に商才がないために

小説は最初から借金取りに頭を下げる多加の話に始まる

 

吉太郎は呉服屋ではなくて芸事や寄席に関心が強い

道頓堀の芝居茶屋に通い詰めて散財するのだが女狂いをしている訳ではない

芸事が好きでたまらないのだ

そこで多加は「芸人さんと一緒に居て商売になる寄席しはったらどうだす」と

吉太郎にすすめる

「あんさんが一番好きなことを一番本気になってしはるのやおまへんか、

やるからには本気でやっておくれやす」

 

その後吉太郎は愛人宅で亡くなる

 

多加は一人息子の久男をほとんどお梅どんに見させて寄席を切り盛りする

芸人集め、花菱亭の店を買い取り、お金の工面にも苦労する

ど根性物語である

 

最期は芸人さん達に看取られる

その場に息子の久男はいない

「久男が・・・、還って来たら頼むぜ・・・」

 

しんどくなるような小説だった

 

1912年頃に吉本興業は創業して

今は押しも押されぬ笑いの殿堂である

確かに面白い楽しい話は元気をくれる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お寺さん

春の彼岸でお寺さんがお参りに来てくださった

父(舅)が亡くなった時からお世話になっている

お寺さんは独特の雰囲気を持って居られるような気がする

静かで押し付けなくて 心が落ち着く 

 

「この所 京セラの稲盛さんの本を読んでいます」と話しをした

「利他の心を持って世のため人のためになることをする

死ぬまで精進して利己にならないように美しい心になるように と

気持ちの良い話です

しかし自分を利用しようとする人には会わないようにしている 

と書かれていて、そこで現実味があってホッとしました」と話した

お寺さんは

「お釈迦さんも救えない人はいると仰っていますよ」と言われた

「悪意をもって来る人に良くしてあげることはなかなかできない」とも言われた

私はそこでずっと引っ掛かっていた

何かすっきりした気分になった

 

宗教を学校で教えることは出来なくても

子ども達は何を大事に考えて大人になっていくのか

そういう話を聞いたり話し合ったりすることがあるだろうか

年を取って今 自分に照らして考えた時に

小学校の時から指針になるような教えを学びたかったと思う

自由と言って何でも好きにして良いのではない

訳が分からなくなって混迷する若い人たちが多いように思う