ビゴの店

久し振りにビゴの店に行きました

店頭にビゴさんが亡くなったこと、これからもどうぞよろしくと

ご長男の挨拶が書かれてありました

 

亡くなる2日前まで本店、支店に出向かれたと言う

幸せな人生だと思った

パン屋さんの父親を手伝って8歳からパンを作って

76歳までずっとパンを作ったなんて、ほんとにいい

ビゴのパンは日本で一番美味しいと言われている

私も日本中を食べ歩いたわけではないけれど

ビゴのパンは日本一美味しいと思う

噛みしめると小麦そのものの味がする

 

その道一筋、亡くなる2日前まで仕事をなされたとは

良い人生ですね

 

 

 

チューリップの針

先日、大阪の手づくりフェアに行って来た

メーカーのチューリップさんから案内状を頂いていた

 

最初のきっかけは、2年前に新聞でこの針を紹介していたことです

その記事ではお裁縫が突然上手になったのかと思うほど縫い易いとあった

私も大層な物は縫わないのですが、

針が布を通す時に軋んだり、通らなかったりすると辛いし、

無理をして指に刺してしまうこともある

チューリップの針はほんとに通りが良い

日本の物作りの素晴らしさを感じます

たかが針ですが、無用な手間をかけないでスイスイと縫って、効率が良くて

作品が出来ることは嬉しい

 

それだけなら大阪迄出向いて行くこともなかったけれど、

他にもあるかもしれないと行ってみた

ニットを編む輪針りやかぎ針を紹介していた

2本の棒針で1枚の身頃(平面)を編むと言うのがスタンダードですが

輪針で行ったり来たりして同じように平面に編めることを教えられた

輪針で両方できるわけです

 

先ずは一番基本の縫い針があれば役に立ちます(3-2 とか3-3)

 

 

 

 

 

 

 

 

残りの夏

今は もう秋ですが

昔、この季節に夫と「残りの夏」を探しに出かけた

 曇っていた空がとうとう雨になってしまった 

夏を探しに行くのだからと半袖で夏の服を着ていたが、寒かった

夏は終わっていたようだ

 

 

庭にはまだ夏が残っている

朝顔が少し弱っては来たもののまだ咲いている

 

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梅村マルティナさん

ドイツ人のマルティナさんは30年前に医学研究生として日本に来たそうです

医学博士号を取られたそうだけれど、今の本職は京都の大学で語学の先生をして

又、気仙沼で東北を元気にするための毛糸製品の製造販売会社を設立して

京都と気仙沼を行ったり来たりと忙しいのだそうです

 

先日、大阪で服飾、手芸のてづくりフェアに行ってみました

お目当ては針だったのですが、

そこでマルティナさんにお会いしました

私は「2年前にスヌードを編む時、マルティナさんは5本の棒針を紹介されていましたが

今お使いの輪針とどっちが使い良いですか?」と尋ねると

「輪針が編み易いです」と教えて下さった

会場で何か編んでいらっしゃいました

小柄で鼻が高いお顔立ちで、身に着けているニットはカラフルで

私のイメージするドイツ人はもっとシックと言うか地味な感じだったけれど

明るい色を着ておられた

会話はゆったりとされていて、自然な知性のある話し方で、

とても雰囲気が良かった

私は、5本セットの棒針は持っていましたが

マルティナさんが薦めてくれたから、輪針を購入して、さっそく編んでいます

確かに輪針が編み易い

今年は寒さ対策のレグウオーマーを編んでいます

 

 

 

 

ビゴさん

ビゴのフランスパンはほんとうに美味しい

そのビゴさんが17日に亡くなったそうだ

 

小麦粉と塩だけで作られたフランスパンは噛みしめると小麦粉そのものの味がする

これこそがパンの味だといつも思う

菓子パンではなくて、一番普通のフランスパンで、

私は中が少し柔らかいブールが好きだ

 

5年くらい前のこと、芦屋の本店でクリスマスの

シュトーレンとパネトーネを作る教室に行った

ビゴさん本人と何人かのお弟子さんが教えてくれた

フランス人はエスプリが好きだと言うけれど、

ビゴさんは頑張ってシャレを言ったりなさる

少し無理をしていて、その努力が少し嬉しくなった

シュートーレンもパネトーネもドライフルーツをお酒に漬けた特製のオリジナルで

思いっきり贅沢でそれはそれは美味しかった

生地を捏ねて焼いて、他に生地のままでも山ほどいっぱいお土産に頂いて

丁度その時タイランドから息子の友達が遊びに来ていたので

気前よくそれらをお土産に持たせた

 

フランスパンの神様と呼ばれ「現代の名工」に選ばれた

フランスでは勲章を受章された

その味はずっと続くことを願っています

 

ばななさん

小さな幸せ46こより

 

ばななさんの両親が亡くなったとき、

ふたりの友人に同じことを言われたと言う

「今はほんとうにつらいと思うけれど、

あるときから、亡くなった人と自分は共に生きているとわかるようになる

実感としてここにいると、思うようになる

自分の中にいるという感覚に近い

あまりにも今いっしょに、思い出とかではなくまさにここにいる感じがするから淋しくなくなる

時間がたてばたつほど、共に生きているということが

理屈ではなくわかるようになるものなんだ」

ばななさんは

「これはほんとうに体験しないとわからない類いの感覚に違いない」と思い、

そのまま胸にしまっておいた そうだ

 

 

「ひょんなことから、両親といつも通っていた西伊豆の旅館を訪ねることになった

もう5年くらい行っていなかった場所だった

もっともっと淋しい気持ちになるはずだった

それが

着いたとたんに海に山に温泉にそして宿や宿の人たちに

温かく迎えられているのを感じた

それに伴って両親が若いときの姿でいっしょににこにこと喜んでいる感じが

胸にせまってきた

それは私の上でもなく隣りでもない、胸の奥から両親の気配が

湧きだしてくるような感じなのだった

またここに来ることができたことを両親はとても喜んでいる、と確信できた

それは思い出の中の両親ではなかった。

私と共に生きている両親の魂みたいなものが、たった今喜びを伝えてきている、

そうとしかいえない感覚だった

思い過ごしの類いでもなく、そうであってほしいというものでもなく、

身体感覚として生々しく感じられた」

 

私も、亡くなった夫や父母の魂と共に生きている と思っています

 

死は生と地続き

13日の新聞に谷川俊太郎さんが語っています

 

<妻たち、そして友人たちを見送ってきた>

「ぼくは死は生と地続きだと思っているんです。

肉体は服を脱ぐように脱げるもので魂は生き続ける。

だから、妻や友人たちを思い出すということは、

彼らが、俗世間で生きているぼくたちとは違う形で生きているんだと思っているし、 

そう思いたいんですよ」

 

この感覚を 私も感じることができた時から

生活が日常を取り戻してきた、我に戻ったという感じです

魂は私の側にいつもいてくれる

それはとても心強い